東京育児日記

子どもが寝ているあいだに書くブログ

クリエイティブ・コモンズの意義

(2003.12.13用語などの使い方を中心に書き換え。)

レッシグが言っていることって(たとえば「著作権がクリエイティビティの邪魔をしてはいけないということである。このような素晴らしいカルチャーを作ることを可能にし、政治的なものを可能にした。では、どうすればクリエイターにとってクリエイティブな活動を可能にできるか。」といったあたり)、気持ちは分かるけど、実際問題として、彼が言ってることに何か意味があるのかというと僕はどんどん疑問を抱くようになってるのですが。フリー素材集を作ろうってことならば、そんなの昔からあったじゃん。そりゃまー、何でもかんでも「昔からあった」とかいうのはあまり良いことではないし、声を上げていることそのものに意味がある、というなら別だけど。

これについて昨日森山さんとも話したのだけど、クリエイティブ・コモンズ(以下CCと略)について考えたことをできるだけ文字に残しておきたいので書いておく。

上記で森山さんが書いているような意味で、CCが新しいか?といったら別に新しくはないと思う。新しい点を挙げるなら、国際的に展開していることと、RDFとかでライセンスを機械的に判別できるようになることを目指していることだろうか。

本来法律上は主張できる著作権を、著作者の意思でその一部を放棄*1しましょう、という運動なんだから、そりゃあ「コンテンツでがっぽり儲けるぜ!」という企業は乗らないでしょう。CCPLのついたコンテンツにお金が支払われることがあるとしても、それはCCPLだからという理由ではなく、そのコンテンツに価値があるからで、それならCCPLではなくて従来の著作権をフルに主張した方がより儲けることができた可能性が高い。それはCCのやり方とか事務局とかが悪いのではなくて、そういう理念を持ったものなのだから、「CCによって儲からないんじゃダメでしょ」式の批判にはどうも納得できないのはそのへんが理由。

例外があるとすれば、マンガと同人誌の関係のように、二次的著作物が出回ることで原作の人気も上がるという例が考えられる。しかし、どのくらい儲かるかを定量的に調べたという話を聞いたことがない。出版不況でもあるし、そのうち「経営的判断」によって「この原作をもとにした二次的著作物を配布したければ、使用料として金○○円を支払え」なんてことにもなりかねないと思う。それによって二次的著作物の流通は減り、それが原作の売上を減らすかもしれないが、企業なら、いくらかでも確実に収入を取れるほうを選ぶということは十分考えられる。

それから、CCは実際のフリーなコンテンツ作成に直接はタッチしていない(はず)。ミーティングでは実際にCCPLを適用しているサービスの例がたくさん挙げられた*2が、今のところアメリカ中心。日本にも青空文庫とかプロジェクト杉田玄白とかがあるわけで、私はよく知らないけど音楽とか映像系でもいろいろフリーなコンテンツを作ろうという運動はあるだろう。これらは、今までは個人がバラバラになってやっていたので、探しにくかったのではないか。将来的には検索エンジンにも反映できるような統一のラベルを貼るというアイデアは悪くないし、それがCCでもいいんじゃないの?と私は思っている。

で、たぶんCC事務局は各国のフリーコンテンツ蓄積事情(誰がやっているどんなサービスがあるか)をよく知らないと思われるので、そこは日本ならGlocomなり接触がある人なりが情報提供するとか、フリーコンテンツの提供者側に「CCPLを使いませんか」という交渉を代行するなりしていけばよいのだろう。

*1:放棄っていう言い方は適当ではないかもだが……

*2:http://kotonoha.main.jp/2003/12/06lessig.html のミーティング記録まとめの真ん中あたりにたくさん紹介されている