近況報告
とてもひさしぶりにブログを書いてみます。
Xはほぼずっと書いてきたけど、本当はそういう短文で他人に反応したような何か、だけではなく、自分発の長文を書く場所がある方が良いんだろうなーとずっと思ってきました。
久しぶりに「ブログの管理画面」というものを見ても、色々と変化がありますね。
最近何をやっているか。
データ分析系のおしごと(在宅&パートタイム)をしながら、その方面の勉強をして資格を取ったりしています。先日G検定の結果が出て、合格していました。
今までいわゆる「年収の壁」対策として週3程度のパートだったのですが、仕事を移って時給も上がり年収の壁を超え、週4の派遣かつ出社で働くことになります。
今までは、子供たちが学校に行っていて、かつ私も仕事ではない時間が結構あり、その間に勉強したり、山に登ったり(低山限定)、映画や美術館に行ったりと、ひとり時間をエンジョイしてきましたが、まあ結構楽しんだので、もうちょっと仕事をがんばってみます。まだ平日週1は休みの日が残っているといっても、その時間がかなり減るなと思っています。
非正規女性と出産・育児の解像度の低さ
プレジデントのオンライン記事で、「統計データが語る「女性の社会進出こそが少子化の元凶」はなぜ真っ赤なウソか」 というものがあり、そこでは以下のグラフを示して「専業主婦よりも共働き女性の方が子どもを多く持つ、という結論になります」と言っているのですが、この結論はおかしい、という話をします。

まず、この記事でいう「共働き家庭」はごく短時間のパートも含みます。なぜなら、ソースとなっている国勢調査の労働力状態の定義は以下の通り「調査週間中に、仕事を少しでもした人」だからです。さらに、育休中の人なども「働いている」に含まれることがわかります。
調査週間中,賃金,給料,諸手当,営業収益,手数料,内職収入など収入(現物収入を含む。)を伴う仕事を少しでもした人
なお,収入を伴う仕事を持っていて,調査週間中,少しも仕事をしなかった人のうち,次のいずれかに該当する場合は就業者としています。
(1) 勤めている人が,病気や休暇などで休んでいても,賃金や給料をもらうことになっている場合や,雇用保険法に基づく育児休業基本給付金や介護休業給付金をもらうことになっている場合
e-Statで、元データとなる平成27年国勢調査を見てみます。
子供の年齢0〜2歳では「男親のみ就業者」が最も多く、「両親とも就業者」は子の年齢が上がるにつれて増えていき、3歳で「男親のみ」を超えます。先の定義にあったように、会社に所属して産休・育休をとっている人は0歳から「就業者」としてカウントされています。
なので、母親が出産前に仕事を辞めていて、子どもが幼稚園に入ったらパートを始める、というパターンが多いのではないでしょうか?

子供のいる世帯の家族類型(4区分),親の就業・非就業(4区分),子供の年齢(各歳),子供の男女別子供の数(母子世帯及び父子世帯-特掲)
最近は、短時間パート程度では「共働き」と堂々と名乗れない感じがあるけど、ほとんどの政府統計では、ごく短時間でも働いたら「労働した」という定義となり、それが「共働き」としてカウントされています。そこを取り違えて、「共働き=夫婦とも正社員」であるかのような主張をしている人をよく見かけます。
そもそも専業主婦と共働きを比べて「専業主婦よりも共働き女性の方が子どもを多く持つ」というのはおかしいのではないでしょうか? 一生働かない女性と一生働き続ける女性だけがいるわけではありません。正社員なら産休育休を取り働き続けようとするだろうけど、非正規雇用なら働いたり辞めたりするハードルが低いからです。
非正規雇用の場合、出産前後は無職になり、生みたい人数の子供を産み、子どもの手が離れたらまた働こう、というのは自然な発想であり、この場合「働いている女性の方が子供が多くなる」のは当たり前です。
キャリア女性による言説や分析は、本人が一生働こうと思っているからか、「一生働かない女性と一生働き続ける女性」を前提にしているようで、的外れに感じます。 「一生正社員」なんて望めない女性は、その時の状況に応じて非正規で働いたり働かなかったりしているのが現状です。
それを考えると、既婚子持ち女性を「専業主婦」と「共働き」に分けるよりも、「特に出産前後の間は無職となり、子供が育ったらまた働く(ほぼ非正規)女性」と「一生正規職員の座をキープできる女性」の方が妥当だと思います。
前者を「専業主婦」、後者を「共働き」と呼ぶと、各種統計で「子供が小さい頃は専業で、子供が育った今は短時間パートの女性」は「共働き」に入ってしまい混乱の元です。
先ほどの記事、「統計データが語る「女性の社会進出こそが少子化の元凶」はなぜ真っ赤なウソか」には、以下のようなグラフも引用されています。

こちらのソースである「労働力調査」の仕事の定義は以下のとおりで、国勢調査と同じく短時間のパートを含みます。
「従業者」は,調査週間中において,収入を伴う仕事を少しでも(1時間以上)した者をいう。ここでいう仕事とは,労働の対価として,給料,賃金,諸手当,内職収入などの収入を伴う仕事のことであり,調査週間中に1時間以上仕事をしていれば,仕事の内容は問わない。すなわち,学生がたまたまアルバイトをした場合や,主婦がパートタイムの仕事や内職をした場合なども仕事をしたことになる。
こちらは女性の働き方について論じる時によく見かけるグラフですが、グラフの下が切ってあるので実際よりも専業主婦世帯が少なく見えるインチキグラフであるのに加えて、ソースである「労働力調査」の統計では、子供の有無や年齢は問題にしていないので、子供がいないか成人している世帯も含んでいます(なお、最新バージョンのグラフはこちら)。
少子化問題や子育て支援について議論する目的なら、子どものいる世帯のデータを示すべきでしょう。日本の人口は逆ピラミッド型であり、最近はシニア層のパート労働が多くなっているというデータもあるので、子が成人して夫婦ともパートで働いている層も多いはずです。
それでは、正規雇用で働く女性の比率はどうなっているのでしょうか。
こちらは、同じく労働力調査をもとにした正規雇用比率のグラフです。こちらも既婚かどうかや子供の有無は問題にしていません。結婚していたり子供がいると正規雇用から離脱しやすくなるだろうと思います。

このように、50代以下の女性は7割以上が働いていますが、40代以降では正規雇用は全体の半分もいません。
私が問題に感じているのは、出産時〜子供が小さい頃は無職、その後は働いても非正規、というのが今でも女性の人生コースとしては割と多いのですが、いわゆる「子育て支援政策」は、正社員夫婦を主な対象とした産休育休、保育園などであり、非正規層に対しては子育て支援がほとんどない現状です。政策決定者にはぜひこの層のライフスタイルへの解像度を上げてほしいし、正社員への転換支援なども充実させてほしいと思います。
ワクチンの「40~50代飛ばし」に関するメモ (2) 30代以下優先接種の具体例
若者対象の渋谷ワクチン接種センター、4日分からオンライン抽選に:東京新聞 TOKYO Web
都内在住・在勤・在学の若者(16~39歳)の接種促進を目的に、8月27日に事前予約不要で開設した渋谷会場は、初日に早朝から希望者が殺到。翌日から現地で抽選券を配る方式にしたが、受け付け開始前から長蛇の列ができるなど混乱し、オンライン抽選を求める声が出ていた。(2021年9月2日)
東京都が運営する東京都若者ワクチン接種センターは、8月27日にスタートし、予約不要でワクチンが打てるという触れ込みだったが、実際に接種できる一日200人を大幅に超える希望者が殺到して抽選券を配る方式とし、その後オンライン抽選となった。
こちらに希望者が殺到したのを反映してか、東京都が運営する大規模ワクチン接種センターとして事前予約制の都庁北展望室、都庁南展望室、乃木坂会場の3か所を追加し、8月30日から予約できるようになった。
若者へのワクチン接種 東京都福祉保健局
また、それまでは年齢を問わず予約できていた(ただし、予約は非常に難しかった。私も挑戦したことがあるが、待っている間に予約が埋まって終わってしまった)自衛隊の大規模接種センターも、9月4日~25日の予約再開に合わせて、対象が18~39歳に変わってしまった。
延長決定! 自衛隊大規模接種センター(東京)が接種予約を再開、本日(3日)18時頃から - INTERNET Watch
なぜこんなに40~50代の重症化が報道されているのに、むしろその年齢のワクチンが打ちにくくなる方向なのか、個人的には全く理解できない。
都内のいくつかの区でも、40~50代よりも30代以下が優先されている。私が把握しているのは、新宿区、大田区、杉並区だ。
「まず20~30代にワクチン」新宿区の発表に波紋…広がる64歳以下への接種 “優先順”はどう決めるべき?
新宿区の特徴として、上京して会社勤めとか、大学に通い下宿しているとか、留学生とかが1万数千人います。かかりつけ医にかかりにくいのが、20代から30代の方々。感染者がたくさん出ている若い世代にも着目した方がいいとアドバイスをいただいた
新宿区では、地域のかかりつけ医での個別接種を行う予定で、40代から50代はこちらが中心になると想定している。
大田区の優先順位
1.高齢者施設入所者
2.高齢者(令和3年度中に65歳以上に達する、昭和32年4月1日以前に生まれた人)
3.60歳以上~64歳以下の方、基礎疾患を有する方(60歳未満)、高齢者施設従事者(60歳未満)
4.12歳以上~18歳以下の方
5.19歳以上~39歳以下の方
6.40歳以上~59歳以下の方
国は全国民に提供できるワクチンの数量を確保することを目指しています。しかしながら、ワクチンの調達が段階的にならざるを得ないことから、まず、重症化リスクの高い方から順に接種することで、重症者や死亡者を減らすことを優先します。また、新型コロナウイルス感染症患者に対する医療提供体制を守ることも不可欠です。
大田区では、「重症化リスクの高い人から順に接種することで、重症者や死亡者を減らすことを優先している」というが、それだったら10代〜30代よりも40代〜50代が後回しなのはおかしい。そのあたりはどう考えているのだろうか。
杉並区ウェブサイト:ワクチン接種の概要
ワクチンの「40~50代飛ばし」に関するメモ (1) 7月中旬からのニュースなど
コロナ家族感染 “子を残し親が亡くなる” 相次ぐ親の重症化 | 新型コロナウイルス | NHKニュース
50代の夫と40代の妻、10代の子どもという家族で、夫婦ともに基礎疾患がありワクチン未接種、おそらく10代の子どもが最初に新型コロナウイルスに感染し、夫は亡くなり、妻は集中治療室で治療が続いているというニュース(2021年9月2日)
今日、上記のようなニュースを見た。
7月にはすでに、コロナウイルスのワクチン接種が進んでいない40~50代(基礎疾患のない人を含む)の重症化が目立つため、この世代のワクチンを急ぐべきという議論があった。それなのに実際に用意されたのは対象年齢を30代以下とするワクチン接種会場ばかりで、いったい何なのだろうと思っている。
以下に7月中旬からの関連ニュースを記録しておく。
小池知事「東京のコロナ対策は50代問題」…重症者の4割が40~50代に : 医療・健康 : ニュース : 読売新聞オンライン
「東京都の入院患者は11日に1902人に上り、病床使用率が1か月ぶりに30%に達した。40~50歳代の入院増加が要因とみられ、「(都内のコロナ対策は)50代問題と言っても過言ではない」(小池百合子都知事)と危機感も広がっている。」(2021年7月12日)
小池知事「知事の部屋」/記者会見(令和3年7月30日)|東京都
「高齢者については1回目のワクチン接種、8割超終わりました。そして2回目の接種率も、もう7割を超えているという状況。それから、重症者数については、この40代、50代で増えているわけです。これまで重症者といえば、高齢者の比率が高かったわけですが(中略)40代、50代、ここが重症化する比率が高まった。中には20代っていう方もいらっしゃるんです。ですから、若いから大丈夫っていうのは違うという話です。この40代、50代の皆様方には、ワクチン接種をできるだけ早めにお願いをするべく、都としても区市町村などとも連携し、また、職域が行われていますけれども、これらについても50代の方々に早めにということでお願いしている。」(2021年7月30日)
小池知事「早く打って」に都民怒り 「ワクチンはプラチナチケット」 | 毎日新聞
「「ワクチンを若い方も打っていただきたい」。小池百合子東京都知事は7月28日、新型コロナウイルス感染者の急増を受けて記者団にこう発言した。今月2日にも「40~50代のまだ受けていない方はできるだけ早くお願いしたい」と呼びかけたが、こうした発言に対し、SNSでは「予約を取りたくても取れないのに」と怒りが噴出している。」(2021年8月4日)
コロナ第5波 40・50代が重症化 基礎疾患ない人も・・・ | NHK
「新型コロナウイルスの第5波では、入院患者の割合は高齢者が減った一方で、基礎疾患がなく、大きな病気にかかったこともない40代や50代といった世代が重症化し、症状の進行も速いケースが相次いでいます。」とのこと(2021年8月11日)
上記のニュースにあるように、7月中旬には、小池都知事は40~50代の中年世代のワクチン未接種が問題だと認識していた。
それなのに実際に都が進めているのは「東京都若者ワクチン接種センター」などの30代以下のワクチンを優先する政策ばかり。40~50代については、東京都が直接運営しているわけではない職域接種で「50代を優先してほしい」というお願いをしているのみだ。
いま流行しているデルタ株においては、ワクチンは重症化予防効果はあるが周囲に感染を広げることは止められない、というのが専門家の認識となっている。
新型コロナ デルタ型変異ウイルス 感染力、重症化リスク、ワクチンの効果など 現時点で分かっていること(忽那賢志) - 個人 - Yahoo!ニュース
デルタ型に感染した人はワクチン接種を完了している人のウイルス量は、接種していない人と大差なく、ワクチン接種をした人もデルタ型に感染した場合周囲に感染を広げる恐れがあると考えられます。
だから、30代以下の方が感染者の人数が多くても、ワクチンは重症化可能性が高い高年齢から順に打っていくべきなのだ。40~50代を飛ばして感染者数が多い30代以下を先に打つとよいという考え方は、デルタ株以前の「ワクチンを打てば周囲に感染を広げなくなる」とみなされていた頃の古い考え方だと思う。
と、いうことは、私が普段見ているtwitterのTLの方々は共有していそうなのだが、実際の、特に都によるワクチンの優先順位には全く反映されていないので、記録のためにメモしておく。
続き書きました→ ワクチンの「40~50代飛ばし」に関するメモ (2) 30代以下優先接種の具体例
ワクチンの職域接種で思い出したアメリカ社会
知人で職域接種でコロナのワクチンを打つ人がちらほら出てきて、2009~2010年にアメリカに住んでいた時のことを思い出した。
当時、新型インフルエンザが流行していて、アメリカではH1N1と呼ばれていた。夫は某アイビーリーグの大学に所属していて、その大学の保健センター的なところで素早くワクチンが用意され、私のような家族も含めて、通常のインフル用とH1N1用と両方のワクチンを打ってもらえた。たしか無料で、たて続けに2回打ったんじゃなかったかな。
日本もアメリカも国家による社会保障が薄く、パワフルな中間集団はそれをカバーしてくれるので所属している人はその恩恵を受けられる、というところがあるんだろうな。ヨーロッパだとまた違うんだろうか。こういうのは格差を広げて固定させる仕組みで、本来はよくないことだと思う。ワクチンはさっさと打たないといけないので、今から社会の仕組みを変えるわけにもいかず仕方ないけど。
アイビーリーグの大学はアメリカでも有数のパワフルな中間集団といえるのだろう。ワクチン以外にも、例えば大学に所属している本人ではなくその家族である私まで、大学のIDを発行してもらえて、wifiを私のパソコンでも繋いでもらえたりとか、図書館やジムなども自由に使えたり、帯同家族のための英会話講座があったりとか。日本の大学ならそこまでやらないような、家族まとめて面倒みますよ的なところがあった。
逆に、自治体などの外国人向けのサービスとかプログラムは全然知らなかったし調べようという発想もなかった。大学のある市は豊かな自治体ではなかったはずなので実際にほとんどなかったのかも。
大学独自のパトカーやらゴミ収集車まであった。そういう普通は行政が用意するようなサービスまで、自治体の税収が少なくてサービスの質が低いとなると、お金持ちの私的団体は自前で用意してしまう。大学のゴミ収集車は見た目もきれいで分別リサイクルもしているけど、自治体のはしてない、みたいな違いがあるのは、日本社会で育った者としてはかなりの衝撃だった。
ゼロ年代インターネット:自己表現と産業の幸せな結婚
書くことがなくなった - phaの日記
もし書くことがなくなったら、俺らは一体なんなんだ - シロクマの屑籠
結局みんなキャッキャウフフしたかっただけなのか - phaの日記
シロクマ先生やphaさんなどの投稿をきっかけにして、いわゆるゼロ年代の、わたしもそこに参加していた、はてなダイアリーを中心としたブログ、あるいはweb日記の盛り上がりはなんだったのか、と考えた。
ブログ(やそれ以前のweb日記・テキストサイト)以前には、特に有名でもない個人が思うことを文章に書いて共有などできなかった。そういう個人による表現の面白さと、それを可能にするインターネットで表現のプラットフォームを作る産業の盛り上がりが同時に起こり、当時はある種のハネムーン期だったとおもう。なんだか社会が変わるかも的な期待があって、でもまだまだブログなどを書いたり読んだりする人は社会全体からみたら少数派なのでそこを接点に出会う人は案外似たもの同士だったり、梅田望夫さんなどがweb2.0を唱え、ネット業界に転職した、ネットで恋人や生涯の伴侶を見つけた、ブログが人気で本になった、といった「ネットで人生変わった」人をたくさん生み出した。
以下は2004年の、(初期の)mixiに惚れこんでmixiに転職した女性のストーリー。
「mixi依存症なんです」――ソーシャルネットで人生が変わった26歳女性:ITは、いま──個人論 - ITmedia NEWS
個人的には当時こういう記事をたくさん書いていた岡田有花さんがとても羨ましくて。ちなみにこの記事で紹介されているふぁるさんの現在のブログもはてなブログであり、初期mixiとはてな界隈の近さがうかがえる。
当時ははてなを含む各種のブログサービスにせよ、mixiにせよ、国産のネットサービスをみんな使っていて、開発者とユーザーが近かった。でもいつの間にか、mixiや当時あったあまたの国産SNSよりもfacebookが残り、twitterのようなミニブログと呼ばれるものも、はてなハイクやwassrなど当時乱立したけど、結局twitterだけが残った。アメリカ産で全世界に広まるネットサービスの洗練を感じたが、開発者と日本の一般ユーザーは遠くなってしまった。はてなユーザーにIT技術者、特にweb系エンジニアが多いと言われるのはその頃の名残りだ。
今日「ファッション・イン・ジャパン」展に行ってきたんだけど、90年代にあった裏原系ファッションとかギャル系ファッションとかで「あの頃あの界隈にいたあの人、(アパレル業界などで)成功したよね」って言われたりするような感じも、似てるんじゃないかなあ。これも個人の自己表現と表現を支える産業の幸せな結びつきなのではないか、とこのあたりを読むと思うんだけど当事者ではないのでよくわからない。
わたし自身はというと、今これを書いているのも、はてなブログではなくnoteだというところに「はてな界」から微妙に引いたスタンスが今でもあると思う(笑)
でもそんな私にとってもはてなは、人力検索はてなとはてなアンテナくらいしかサービスがなかった頃からID取って利用してて、はてなダイアリーもメインのブログではないけど使ってて(メインはレンタルサーバ にインストールしたtDiary、のちにWordPress)、はてなブックマークはもっとよく使っていたし、よく読んでたり交流のあった人には、はてなダイアリーユーザーも多かった。文学とか出版とか「書く」方面と、IT業界とかネット業界とかプログラミングのような「作る」方面の両方に興味があったわたしにとって、はてな界隈は居心地のいい場所だった。
当時は、もともと知り合いじゃなくても近い界隈でブログ書いてる人どうしの独特の距離感の近さがあった。互いのブログに言及したりコメントしたり、マイミクになってオフ会で会ったり。あんな時代はもう来ないんだろうな。私にとってのあの時代はネット業界に惹かれて転職したけど結局辞めてしまい、本になるほどの人気ブログは書けなかったし、夫は学生時代の同級生でネットとは関係ない。それでもいくらかの思い出と当時からの「ネット同級生」とも呼ぶべき友人ができて、今でもfacebookでゆるくつながっている。
「鬼滅の刃」炭治郎のケア労働
※盛大にネタバレを含みます※
うちの子供たち(小一と年少)がYouTubeで鬼滅の刃の二次創作的なのを見まくった結果として本編も見たがり、残酷描写も多いようなのでしぶしぶ(ヤバいのがあったら特に下の子は遠ざけるつもりで)一緒に見始めたら、面白くてむしろ私がハマってしまった。結局、辛かったら見なくてもいいよ離れてもいいよとは言ったが、子供たちにはAmazon Primeでテレビアニメを全部見せてしまったし、私はそれより先に子供たちが寝ている間にテレビアニメを全部と原作の漫画を最後まで読んだ。
少年が大きな目標を持ち、目標を同じくする仲間たちと切磋琢磨して成長し、最後にはラスボスを倒すという大筋はいかにもな週刊少年ジャンプの漫画だし、私はもともと戦いがテーマの漫画もグロいのも好きではなくあまり読んできてなかったのだが、そういう漫画の内容がこれほどまでに「ケアをめぐる物語」であったのは想定外だった。
かつて、賃労働は男性のするものだった時代があり、その後女性の社会進出と言われるようになり、それと共に女の子が戦う漫画やアニメが一般的になった。今後必要になるのは、むしろ男性の家庭進出というかケア労働を担うことだと言われているなか、まさしくそれにふさわしい少年漫画のヒーローが炭治郎くんですよ!という感じがある。
主人公の炭治郎は、現代日本にたとえるなら一家に現金収入をもたらす賃労働に加えてケア労働(家事と子供の世話)も全部やっている「良心的なお父さん」みたいな人だ。伝統的な男性の役割(賃労働や、本編でいうなら鬼と戦って強くなること)を手放したらジャンプのバトルもの漫画のヒーローにはなれない。でもそれだけではなく従来は女性の役割とされていたケア労働や精神的なケアも大事だという視点も持っているのが新しい。私が子供のころはこの手のジャンプのバトルものアニメの主人公といえば、ドラゴンボールの悟空とか北斗の拳のケンシロウとかだった。それが子供たちの世代では炭治郎なのか、そりゃー大変だな、強いだけじゃダメなんだと唸りながら読んだ。
そもそも彼の目的は、鬼に変えられたという尋常ならざる状態になってしまった妹の禰豆子を人間に戻すことで、その後読んでいくと鬼になるというのは病気の喩えではないかと思われる部分も多々あり、まず戦う目的が強くなることとか冒険とかお宝とかではなくて妹のケアである。
炭治郎は鬼を斬るが(そうしなければさらなる犠牲者が出るから)、鬼にならざるを得なかった境遇には理解を示すのはすでに有名な話だが、もっと注目すべきなのは守るべき一般人や鬼殺隊の仲間へのケアだと思う。例えば、鬼に兄弟を攫われておびえている子供たちに出会い、仲間の善逸のスズメを借りて「手乗りスズメだよ!」と言って気持ちを和ませ心を開く。鬼から物理的に守るのも当然やってその上で気持ちのケアもするのだ。
さらに、鬼殺隊という組織内の裏方の人々を尊重する。蝶屋敷という鬼殺隊のための病院のような施設があり、そこで看護師兼トレーニング担当のような役割をしている女の子たちがいるのだが、彼女らを性的な目で見てドン引きされる善逸と、彼女らの名前を覚えて尊重し、トレーニング上必要な頼みごとをしたりして仲良くなる炭治郎の対比が描かれる。
蝶屋敷を去るとき、炭治郎はお世話になった人たちへの挨拶回りをする(こういうことをするのは同時に入院した同期3人のうち炭治郎だけである)。鬼殺隊に入って戦おうと思っていたのに恐怖で戦えなかったので蝶屋敷で働いているアオイがそのことを炭治郎に話すと「自分の世話をしてくれたアオイさんももう自分の一部だから、その気持ちは俺が戦いの場に持っていく」と答える。
次に同期のカナヲに会う。彼女は何もかもどうでもよいと感じて決められないのでコイントスで物事を決めているという。ここでは明らかにされていないが、幼少時に凄惨な虐待を受けて育った後遺症である。その後蝶屋敷に引き取られ、前述のように蝶屋敷にはケアワーカー的な女の子たちがたくさん働いているのだが、その中で自分はケアは苦手なので戦いたいと考える。ケアされて育っていないので他者へのケアも苦手な女の子として描かれている。彼女はもう少し自分の心の声を聞くべきだろうなと考えた炭治郎は、コインを借りてコイントスをし「表が出たらカナヲは心のままに生きる」と言って表を出す。何それかっこよすぎませんか。こんな見事なメンタルケアする人いる?? これでカナヲは炭治郎を好きになってしまう。炭治郎本人は彼女らに特別な感情はなく、この時点では仲間意識しかなかったと思われるが、天然で2人連続で女の子の気持ちを動かしてしまう炭治郎……おそろしい子! と思いながら読んだ。話はそれるが、炭治郎とカナヲに関してはその後にも良いシーンがあり、ラスボスを倒した後で結ばれるという結末になるのだが、今一番読まれている”少女マンガ”は『鬼滅の刃』というのもわかる。そういう風にも十分読める。
さらに、炭治郎の特に親しい同期の仲間で一緒に行動することが多い善逸と伊之助は2人とも孤児で、ケアされずに育ったことに由来すると思われる欠点がそれぞれあるが、一緒に過ごしたり戦ったりすることで三人は「兄弟のような存在」となり、少しずつ欠点を克服していく。
鬼を斬るための刀鍛冶たちのいる場所では、時透無一郎が刀鍛冶の少年に傲慢な要求をしているところに炭治郎が通りかかって止めに入る。これは、現代社会にたとえるなら、何億もの契約をまとめてくる敏腕営業マンが、俺の稼ぎでみんな食えているのだからとバックオフィスの人々に無理難題を言う感じだろうか。ここでも炭治郎は刀鍛冶の少年に好かれて有益な経験ができることになる。
そこまで大きく描かれてはいないが、料理がうまいという描写もある。父親が病気で死んだあと、長兄として一家に現金収入をもたらす炭売りに加えて、母親や禰豆子と協力してではあろうが、料理などの家事やまだ小さい兄弟の世話など家庭内ケア労働をしていたようだ。鬼としての能力が暴走して一般人に襲いかかる禰豆子を必死で「寝かしつけ」するエピソードもある。
そこまで「ケアする人」である炭治郎を支える思想は何か。単行本17巻にある、炭治郎と猗窩座(あかざ)という敵との会話は、何年か前に話題になったYahoo! 知恵袋のQ&Aとほぼ一致している。
猗窩座は人間だった頃の経験から強くなることにこだわりがあり、戦って強いと認めた相手には「お前も鬼にならないか」とやたら勧誘する一方で弱者を嫌い「弱者が淘汰されるのが自然の摂理だ」という。炭治郎は「お前は間違っている。お前も赤ん坊だったときは誰かにケアされていたはずだ。だから成長して強くなったらまた弱いものを守るのが自然の摂理だ」と否定する。
鬼は基本的には鬼殺隊の持っている刀で首を切れば死ぬのだが、猗窩座ふくめ終盤に出てくるラスボスに近い強敵は、首を切っても再生できて死なない。ではどうしたら死ぬのかというと、精神的に負けたとき、人間だった頃の経験も思い出して自分が間違っていたと認めたときに死んでいる。つまり戦ってもいるが炭治郎が猗窩座に論理でも勝ったので殺せたといえる。
ラスボスの無惨は会話した結果として炭治郎ですら存在を否定し、ただひたすら倒すしかないという存在であり、よくこのストーリーの特徴とされる「敵である鬼にも悲しい出来事が」というのには当てはまらない。炭治郎が戦うラスボス手前の最後の強敵が猗窩座である。過去に炭治郎と禰豆子の二人が「一歩間違えばこうなりかねなかった」という敵として兄と妹の鬼がいたこともあるが、猗窩座と戦うときは禰豆子は一緒におらず、猗窩座は炭治郎の個人としての人生観を裏面から示す敵として存在していると考えられる。この2人の共通点としてケアして守りたいと思っていた他者を、外出中に本人にはなんら責任のない理由で殺されていたという経験をもつ(炭治郎はまだ幼い弟妹を含む家族、猗窩座は病弱だったので彼自身がケアしていた婚約者の女性とその父親)。炭治郎はその経験を経ても他者をケアする人であることは変わらなかった。それをきっかけに鬼となり当時の記憶を失っていた猗窩座は、最後に自分もその女性をケアして一緒に生きていきたいと思っていた、すなわち自分の考えが間違っていたことに気づいて自滅する。
猗窩座は、いま映画でも公開されている無限列車編で最初に登場する。このときは鬼殺隊の煉獄杏寿郎に鬼にならないかと勧誘して断られるが、杏寿郎の返事は「人間は有限でありその儚さが美しい。だから人間がよい」という美意識の表現にとどまっている(単行本8巻)。個人としてそういう価値観なのはそれはそれで良いと思うが、このときは猗窩座は説得されていない。このとき炭治郎はその戦いを目の前で見ているのだが、それ以前に負傷していることもあって手も足も出ない。杏寿郎は致命傷を負って死に、夜が明けて日光を浴びられない猗窩座は逃走する。このときは猗窩座は説得されなかったわけだが「弱肉強食ではなくお互いにケアしあうのが自然の摂理だ」という炭治郎の論理の方がより強かったということだろう。
「鬼滅の刃」全体として、傷ついても復活する身体と無限に近い命を持つ鬼と、有限の命と身体しかない人間が戦うとき、人間側の武器は、家族や鬼殺隊のような目的を同じくする共同体を維持してそれを継承することだというテーマがある。家族や共同体の維持のために必須なのが精神面のケアや料理や育児などの具体的な家事も含むケア労働であることを、鬼殺隊に入る前から父亡き後長兄として家族を支えてきた経験から知っており、だからやっている、というのが炭治郎の思想なのだろう。
なので、「長男だから」と言いながら戦っている炭治郎は家父長制で云々という議論を読んだことがあるが、そうじゃないんだよなー。そういう「男だから」的な部分もまああるっちゃあるんだけど、それにプラスしてケア労働の重要性がこれだけ盛りこまれている戦闘もの少年漫画ってほかにあるんだろうか。私はそんなに読んでないから知らないけど。