東京育児日記

子どもが寝ているあいだに書くブログ

2015年11月19日のツイート

有料メルマガ、αシノドス(ヘイトスピーチ特集)に寄稿しました

有料メルマガのαシノドス(vol.184 ヘイトスピーチ特集)に寄稿しました。 「シリア難民中傷イラスト事件」について以前ブログに投稿したものに大幅に加筆修正しています。

前回のブログは、10月4日という中途半端な時期で終わっており、その後の重要なできごと(10月7日のイラスト削除、各種メディアの報道、その後のはすみ氏の怒濤のイラスト追加とその一部がヘイトデモに使われたこと、イラスト集の出版決定など)が入っていません。10月後半に、この記事中途半端だなあ、今の記事を編集して追加するか、あるいは新しく書くか……などとうだうだ考えていたところ、シノドスの方にお話をいただいたので、いろいろと追加して調べてまとめました。

書くためにネットでいろいろ調べていて、結局記事では使わなかったものも含め、大量のヘイトコンテンツに触れました。以前のブログを書いたときはそこまででもなかったのですが、さすがにこのくらい集中していろいろ見て、正確を期するために確認したりしていると、ちょっとメンタル的にくるものがありました。私はこの記事1本だけですが、仕事のために日々ヘイトコンテンツに触れている専門家は大変だなあと思いました……。

そしてこの「ヘイトスピーチ特集」号が届いたのですが、ほかの記事も興味深かったので、販促もかねて(?)感想を書いていきたいと思います。

松波めぐみ「障害者差別解消法とヘイトスピーチ

この記事では扱われていませんが、私がまず思い出したのが、乙武洋匡さん憤慨 銀座レストランに入店拒否されるの件でした。2013年のできごとですが、いま「乙武」とGoogle検索しようとしたら上位で「レストラン」とサジェストされたくらいなので、今でも多くの人が検索しているようです。

この記事では、障害者に対する「合理的配慮」が義務づけされる法律が近く施行されることを取り上げていますが、この件がまさに「合理的配慮」ができなかった例なんですね。

一般的な法律と違って、「合理的配慮」というのは、その場で障害者とコミュニケーションして、どんな援助が必要か決めましょうということのようです。しかし、未知の相手とのコミュニケーションは日本人が苦手とするところです。相手が"弱者"で、こちらが配慮しなければいけない立場ならなおさら。以前読んだ、雨宮まみさんと岸政彦さんの対談でも「言語によるコミュニケーションってみんな苦手だよね」という話をしていて、それも思い出しました。こちらは恋愛の話ですが。

で、そういうコミュニケーションが苦手なあまり、障害者を、なんでも要求してくるクレーマーのような存在として想定してしまい(だから、自分はコミュニケーションできなくて当然だ、と考えたい)、それがヘイトスピーチにつながるかも、という話だと理解しました。

そういえば、電車で妊婦に席を譲る譲らない論争というのもあって、「自分のような男が席を譲ったら、キモい男に話しかけられたとして妊婦が警察に通報するから、できない」みたいな主張をする人がいますが、これも、同じような構造から生まれ、女性をそういう非道なことをする存在であると主張する、女性に対する一種のヘイトスピーチだと私は思っています。

高史明氏インタビュー「古くて新しい、在日コリアンへのレイシズム

最近発売された『レイシズムを解剖する: 在日コリアンへの偏見とインターネット』の著者へのインタビューです。

ありがちなネトウヨの主張として、在日コリアンは劣等民族であるといいつつ、その一方で、在日は日本を裏で支配し社会福祉制度にただ乗りするなど甘い汁を吸っていると主張する、というのがあります。その"劣等民族"にそこまでされるって、日本人どんだけダメダメやねん、といいたくなりますが、それなのに、日本人は優秀ですばらしい!とか言っているわけです。

こういう意味不明に見える論理を「2種類のレイシズムがある」と解説されるとすごくスッキリするし、こういう物言いは日本に限られたものではなく、アメリカの黒人差別においても同じようなパターンがあるというのは興味深いです。

このインタビューの後半は、Twitterなどオンラインのレイシズム書き込みについてですが、「もし、TwitterのようなSNSが、差別的な発言を止めようとするのであれば、極端なアカウントを重点的に管理するだけでも、一定の効果が上がるでしょう。Twitterの場合、上位25名に制限を加えるだけで、差別的な投稿を10.1%減らすことができます」とのことです。(※ 上位25名というのは、約4万のコリアン関係のツイートをしているアカウントのうち、ということ)

この本、私は買ったけどまだ読んでいる途中です。読まねば。

 

明戸隆浩「ヘイトスピーチ法制を考える上での『比較』の意義――10年後のための『イマココ』」

ヘイトスピーチに関する議論で割とよくみかけるタイプのもの、2種類について批評しています。

一つめは、ヘイトスピーチを規制する法律についてです。日本にも、こういう法律が必要だと言われはじめています。私もそう思います。このとき、諸外国との比較として、たとえば「アメリカでは、ヘイトスピーチを規制する法律がない」と言われたりしますが、人種差別禁止法およびヘイトクライム法があり、結局、ヘイトスピーチのような行いは別のかたちで規制されているそうです。それらがない日本で、「アメリカにもないヘイトスピーチ規制法は、日本に導入する必要がない」とは言えないし、海外の法律と比べる場合は、関連するほかの法律もあわせて考える必要があるという話です。

もうひとつは、現実から離れた理想論(私の解釈です)で、ヘイトスピーチを法制化するとデメリット(定義が難しく、拡大解釈のおそれがある、など)があるので、法律に頼らずにマイノリティを包み込む共生の市民社会を作っていきましょう、みたいなものです。そうは言っても実際に多くの外国でヘイトスピーチ規制はあるから、なにがヘイトスピーチかという議論の積み上げはすでにあるし、みんなが善人になれば問題ない、みたいなことを言っても、そんな理想的な社会ではないから、法律とか警察が必要とされているわけです。

こういう話を読むと、Twitterなどで、専門家でもない人による、字数を費やすこともできない細切れの議論をいくら読んでも意味がないなあと思いました。

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全体的に、私はふだんヘイトスピーチに関する話はネットで追うことが多いのですが、ちゃんと専門家が書いて編集が入って、ネットでよく見かけるような議論も、実は専門の人からみたらきちんと否定できるものだと分かったりするのは、頭が整理されてよいなあと思いました。

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